指輪



すっかり寝坊してしまい、校門を潜ったのはすでに昼近かった。
実際には何百人と生徒がいるが、授業中である為校内は静まり返っている。
まるで人なんて誰も居ないみたいだ。なんて事を思った矢先、不意に通り過ぎかけた教室内から人が出てきた。

「遅刻してきたうえに、何中学生が堂々と煙草吸ってるの?」

左腕を強く引かれ、眼前にあったのはのは並盛中の風紀委員長、雲雀恭弥の顔であった。
厄介なヤツに見付かった。
せめて10代目との昼食には間に合うように、と家を出て来たのだが、ヒバリに見付かってはそれも難しいかもしれない。

「聞いてる?」

そう言われたと同時に口に銜えていた煙草の火種をトンファーで叩き落された。
顔に当てる事なく、器用に煙草の先だけを狙ったイヤミな攻撃が更に獄寺の神経を逆撫でる。
舌打ちをしながら繰り出した拳は、しかし呆気無くトンファーで遮られ、次いで拳の痛みを堪えて放った膝蹴りも同じく防御されてしまった。

それどころか片足を上げたままの不安定な状態で、残った片足を払われると無様に床に倒れてしまう。
素早く起き上がろうとしたところ腹部に馬乗りになられてそれも叶わなかった。
振り上げられたトンファーが視界に入り頭部を庇うように両腕を上げたが、予想していた打撃は襲って来ず、自分よりも熱い手で手首を掴まれる。

何をするのか全く見当も付かなかった。
そしてその後のヒバリの行動を見ても何がしたいのか、さっぱり分からない。
ヒバリは獄寺の指に嵌った全ての指輪を抜き取ると、そのまま上から退いてしまった。

「お、おい。何だよ?」
「これ没収ね」
「ざっけんな!それ高ぇんだよ。返せ!」
「放課後、応接室」

ヒバリはそれだけ言うと肩に掛けた学ランを翻しその場を去って行った。
あまりに意味の分からない行動に思わず反応が遅れ、床に横になったままヒバリを追いかける事も出来なかった…。
程なく4限目終了のチャイムが校内に鳴り響き出したのを機に、ようやく身を起こし敬愛する10代目と共に昼の休憩時間を過ごすべく駆け出した。
意味の分からない行動ではあったが意外と早く解放されたお陰で10代目と一緒に昼食という計画は予定通り遂行出来そうだ。

「放課後、応接室」の事は取り敢えず忘れよう。


午後の授業が終了し、意識して忘れていた事を(意識してる時点で忘れていないが…)思い出さなくてはいけない時間がきてしまった。
泣く泣く10代目と一緒の帰宅を諦め応接室へと向かう事にする。

行きたくはなかったが、取られたいくつかの指輪…中学生のこづかいレベルの指輪ではないし、気に入りの指輪もある…それにやられっぱなしなのも腹が立つ!
校内だろうと関係あるか!
ボムを使うことをも厭わない、と決意を固め応接室へと向かう。

「取ったもん返しやがれ!」

ノックもせずに勢いよく扉を開いた。

ヒバリは窓を背にした状態で置かれている机に向かって何やら書類を繰っていたようだ。
ちょうど入り口から正面に居るので真っ直ぐ獄寺をみる為に面を上げている。
乱暴な入室だった事はもちろん自覚がある。わざとそういう入室にしたのだから。
しかしそれに対してのヒバリの反応というものが予想していたものと違った。
予想に反してトンファーを振るう事もなく、椅子に座ったままで獄寺を認めると「ちょい、ちょい」と手招きした。

「…な、なんだよ…?」
「指輪返して欲しいんでしょ?返してあげるから、こっちにおいで」

逆光のせいでヒバリの表情が見え辛いが、うっすら口元に笑みが浮かんでいるようで…それが妙に怖い…。
その獄寺の悟られたくない心理を感じたのか「怖いの?」なんて聞いてくる。
挑発されているのだという事は分かる。いつもならそれに即答で「んな訳あるか!」くらいは言ってると思うが、その挑発にも乗れない得体の知れぬ恐怖があった。
ヒバリは堪えきれないという風にクスクスと笑い出した。

「大丈夫。何もしないよ。だからおいで」

情けなくも、床に張り付いたように動かなかった足を叱咤し、ヒバリの側へと向かう。

側に立った獄寺の手首を掴んだヒバリに思わず大袈裟に体が震えてしまった。
ヒバリはそれに対して何も言わずにその獄寺の手の平にコロコロと指輪を落とした。

「はい。じゃぁ、もう帰っていいよ」
「は?」

本当に何事も無く指輪を返されてしまった。
呆気に取られる獄寺をよそにヒバリは先程獄寺が来るまで見ていたであろう書類に視線を落としてしまった。

え…っと…。…これで終わり?
獄寺の、ボムを使ってでも抗戦し、指輪を奪還する!という決意も空回りである。

「何?何か用でもあるの?」
「い…、いや」

用って…お前が呼び出したんだろう〜!なのにこれで終わりかよ!
無事に指輪を返してもらったが、何か納得いかない。
さっき妙な恐怖感に駆られてしまったのは一体何だったんだ!

「ねぇ。折角無事に済んだのにそんなに咬み殺されたいの?」

その台詞を聞いてようやく固まっていた体が動き出した。
ふんっ!っと顔を背けて足音荒く扉へと向かうが、やや毛足の長い絨毯のせいで足音も勢いも削がれている。
せめてもと扉を力一杯閉めて、ようやく応接室の外に出た。
異常に疲れを感じる…。これならまだトンファーで殴られた方がずっとましだ。
そう思いながら振り返った応接室…。

うわ鳥肌立っちまったぜ!

両方の二の腕をこすりながら応接室前から足早に去る。
あぁ…10代目に会いたい…。会って癒されたい。今からお伺いしては迷惑だろうか…。
妙な悪寒を忘れる為、一目でいいから十代目に会いたかった。



昨日あんな事があったばかりで二度と来たくないと思っていた応接室前に獄寺は立っていた。

何度かためらった後いつまでもこうしていられないと、意を決して扉を乱暴にノックする。
中から微かに入室を促す声が聞こえ、そっと扉を開けた。

昨日とは違いソファに腰掛けていたヒバリの横顔が見えた。此方をチラリとも見ず、昨日と同じように書類に目を通している。
ノックしたせいで風紀委員とでも勘違いされているだろうか…反応が無い…。

「ヒ、ヒバリ…」
「ああ、君か…。どうしたの?」
「これ」

獄寺が「これ」と言って差し出したのは一つの指輪であった。

昨日あの後、結局耐え切れずに沢田の家に寄り…顔を一目見て(さすがに何の理由も無くと言うのは申し訳なかったので手土産は持参した)、自宅に戻った。
いつものようにネックレス等のアクセサリー類を外して、ヒバリから返してもらった指輪もポケットからまとめて取り出す。
そこで初めて見慣れない指輪が混ざっている事に気が付いた。

見慣れていないだけで、見た事はある。
普段からよく利用しているシルバーアクセサリのショップ。
最近その店頭で見たばかりの指輪であった。

かなりごつ目の作りのそれは、スカルの目やら何やらに本物の宝石をいくつも使っての特別品の一点モノ。
宝石を使っている割には変な華美さは無く、くすんだシルバーの風合いを邪魔するでもなく…欲しいとは思ったが、ショップの方でも売る気があるとは思えないような値段の設定だった。
試しに指に嵌めさせて貰っただけで、当然その場で返した覚えもある。

それが何故此処に?
心当たりの事を思い出すのがイヤ過ぎて、見なかった事にしてしまいたいが、そうするにはちょっと洒落にならないような値段のもので…獄寺があんなに忌避したがっていた応接室を連日訪れる理由となってしまった。

「昨日返してもらった指輪ん中にオレのじゃなにのが混ざってたぞ」

獄寺の右の手の平に乗せられたその指輪は応接室に降り注ぐ穏やかな日の光を受けて鈍く輝いていた。
それをヒバリはチラリと見て、また書類へと視線を戻す。
相変わらず何を考えているのか全く表情の読めないヒバリ。
差し出した指輪を受け取ろうともしない。

「おい!」
「うるさい」
「!うるさいって…お前が人の話聞かないうえに、間違って人のもんオレに渡すからだろ!」

ほら、と更にヒバリの方へ手を出すがそれを受け取らない。

「それ、君の」
「は?」

昨日から間抜けな反応ばかり返しているような気がする…。
でもそれも仕方ないだろう。コイツが昨日からそういう反応しか返せないような言動ばかりしているからだ。

「いやいや…オレんじゃねぇし。ちゃんと持ち主に返せよ。…知らないだろうけど、これすっげぇ高いんだぞ」
「知ってる」

意外。こいつがこの指輪の価値を知っているなんて。

「だったらちゃんと返してやれよ。…って言うか誰だよこの校内でこんなもん持ってるヤツって…」
「君のだよ」
「だからオレんじゃねぇからわざわざ返しに来てやったんだろ」
「君のだ。…だって僕が昨日君にあげたんだから」
「お前人の話聞いてるか?勝手に人のもんを横流ししてんじゃねぇよ」

そこでヒバリはようやく書類から顔を上げて獄寺の方を見ると呆れた顔で「ふぅ」と溜息をついた。

「察しが悪いな。それは、校内の誰かのモノじゃない。僕のモノを君にあげたの。だから君のモノだ」
「は?」

あ、また「は?」って言っちゃた…。昨日から何回目だよ?いやいや、それより何だって?

「君ホントに頭いいの?何回言えば分かるんだい?僕から君にあげたんだってば」

心の声が漏れていたらしく、ヒバリがそれに回答していた。
しかし何回言われようと理解出来ない。
だってコイツから指輪をもらう理由なんて思い浮かばない。

「何でオレがお前から指輪を貰うんだよ?」
「僕があげたかったから」
「それって理由になってない」
「そうかな?」

それっきり腕組して考え出したヒバリ。
おいおい最強最凶の並盛中風紀委員長様が小首傾げて「う〜ん」なんて言っちゃってるよ!
助けてください!10代目ぇ〜。
…昨日せっかく10代目に癒してもらったのにまた寒気&鳥肌が…。

「とにかく理由も無いのにこんなもん貰えないから」

それだけ言ってヒバリの目の前にあるテーブルに指輪を置こうとしたところでその手首を掴まれた。
昨日も思ったがコイツって意外に体温高い。
なんか普段見てる感じではすっげぇ体温低そうに見える。って言うかまともな体温がある事自体が似合わない。
そんなオレの勝手なイメージに反した熱い指でオレの手の平から指輪を取ると、それをそのままオレの左手の中指に嵌めやがった。
反応が遅れてしまったが慌てて手を引こうとするも、なかなかオレの手は自由になってくれない。
クソ!馬鹿力めっ!

「ほら、ぴったり」

いやいや、そんな得意気に言われても貰えないから!
だいたい普段から人の事服装違反がどうのこうのと取り締まってるのはどこのどいつだよ!
何でわざわざその違反の元を増やすかな?

「お前こそバカじゃねぇの?普段トンファーで滅茶苦茶に人の事殴ってるヤツからこんなん貰えると思うか?」
「まぁ、確かに素直に受け取ってもらえるとは思わなかったから、昨日ああいう風に渡してみたんだけど…。没収ついでにサイズ確認しつつ…」
「いくら何でもバレるだろ!しかもそのままオレが受け取ると思ってたのかよ?」
「だって君その指輪欲しがってたでしょ?」

さっきヒバリに「君ホントに頭いいの?」って聞かれて、並よりはいい!と心中思っていたが、それはオレの驕りで本当はそんな事無かったのかも…。
だってさっきからヒバリの言っている事が何一つ理解出来ない。
何でオレが欲しい指輪を、普段犬猿の仲以上に仲の悪いコイツから貰う事になるんだ?
って言うか…

「何でオレがこの指輪を欲しがってたってお前が知ってるんだよ?」
「見てたから。君があの店で指輪を嵌めて、ためつすがめつしてたのを、たまたま町内の見回りの時に見掛けた。欲しかったんでしょ?」
「で?何でオレが欲しい指輪をお前がくれるんだよ?」
「僕があげたかったから…ってのは理由にならないんだっけ?………君がそれを着けて笑ってくれるかと思ったんだけど、…予想とは違う反応だったな」

じゅ、じゅ、10代目ぇ〜〜〜…。
オレもうダメです。すみません。
敵を目の前にしてこんなに逃げたいと思ったのは初めてです。
三十六計逃げるに如かず、なんて都合のいい事言ってここから脱出してもいいですか?

でも…でも…、情けない事にコイツがオレの手を放してくれない限り逃げ出すのは無理そうです…。
それから気になる事が…。

「なぁ、お前この指輪どうしたんだ?オレが店で見た時はショップでも売るつもりがないような値段だったんだけど…」
「並盛にある店で良かったよ」

うゎ〜…こいつサイアクだ。店のヤツ脅したな。
最強で最凶の並盛の支配者。
コイツに睨まれたら最後、逆らう事は許されない。

「おまっ…!やっぱり余計に貰えねぇよ。店に返してこい」
「嫌だ」
「じゃぁいいよ。オレが返してくる」
「返したらあの店潰す」
「何アホな事言ってんだ!絶対ダメだ!獲ったもん人にあげるなんて冗談じゃねぇ」
「じゃぁ、お金払って買えば大人しく受け取ってくれる?」

い、いや…それも無理だけど、何受け取るって言えば金払ってくるみたいな言い方してんだ!
…コイツはどうやったって返品に応じてくれない。

…それにさっきのオレが笑ってくれると思ったって…?

「…オレが笑うと何かあんの?」

そう問うとヒバリがきょとんって感じの顔しやがったんでオレは思わずぷっ、と吹き出してしまった。
途端に幼い表情は消え、機嫌の悪い風紀委員長の鋭い眼光でこっちを睨んできた。
でも、昨日までのようにトンファーが振るわれる事は無い。ぷいっと顔を背けただけで話し出した。

「いつも草食動物と一緒の時に笑ってるでしょ?それ見ると腹が立つんだけど…でも、それが僕に向けられてたらって考えたら嬉しいだろうなって思って君が欲しがってるものをあげてみた」

ヒバリの言ってる事はやたらと分かり辛いし、コイツに限ってそんなんある訳ないだろうとかも思うけど…でも…自惚れなんかじゃなく、それ以外考えられない…。
さっきからヒバリに「察しが悪い」だの「何回言えば分かる?」だの言われ、普段からもやたらと「鈍い」と言われてるオレ。
でもさすがに気付かない訳にはいかない。
…どうやらオレはヒバリに好意を持たれてるらしい。

しかし普段のコイツのと関わり方を鑑みても、一体どうやってそういう気持ちになってしまったのかさっぱり心当たりがない。

ヒバリからは風紀を乱してると注意を受け→オレはそれに対して毎回反抗→バトルに発展→トンファーで滅多打ち。
というフローが出来上がっていて…それのどこを見ても感情がプラス方向に傾くような要素は一切見当たらないと思う。
オレは聞くのが恐ろしかったが、持ち前の探究心がむくむくと湧き上がりとうとう口に出してヒバリに聞いてしまった。
「お前…オレの事…その…好きとか、思ってる?」

ヒバリに握られている手を妙に意識して落ち着かない。
や、やばい…滅茶苦茶顔が熱い。心臓バクバク!まるで告白してる女子みたいだ。何でオレがこんな照れる必要あるよ?

でも、きっと自分の思いを告げるというのは相当に勇気が居るものなんだろうな、って事をこんな状況ながら考えてしまった。
まぁ別にオレが思いを告げている訳ではないが…。

今までは告白を受けても素気無く断っていたが、もう少し気遣って断ろう…、ってそんな事を今ここで考えなくても!
思考が明後日方向へと飛んでいたが、手首を強く引かれ、ヒバリの横に座らせられて意識が戻る。

「うん。どうやらそうみたいだね」

何でもない事のようにあっさりと告げられ獄寺の思考も動作もフリーズしてしまう。

ぼんやりとヒバリの顔を見たまま、言われた事を反芻して…ようやく脳がそれを理解し始めると共に再び、急速に顔が熱くなってきた。
そこでようやく見詰め合った状態である事に気付き余計に恥ずかしくなり下を向く。

「そんな可愛い反応されると襲いたくなる」

飛び込んできた言葉に体が反射的に反応してしまい、大袈裟にびくついてしまった。

「冗談だよ。…そんなに驚かなくてもいいでしょ」
「お、お前が言うと冗談に聞こえない」
「ふ〜ん。本気で捕らえてくれてるんだ。もちろん僕は冗談じゃなくてもいいと思ってるんだけど…」
「頼むから止めてくれ。…それから…やっぱりこれは受取れない」

ヒバリが店から獲ってきた指輪をヒバリの手に握らせる。

「お前がオレに何かプレゼントしたいんなら、お前の小遣いで買ったものとか、自分で作ったものとか…そういうのにしろよ。…そんなんだったら受け取ってやらない事もない…」

お前は風紀委員でオレはマフィアだぞ。
何だってオレがヒバリに道徳を教えなきゃいけないんだ…。
なんて、うんざりしているとヒバリがとんでもない事を言い出した。

「それって…逆プロポーズ?」
「はぁ!?何だってそうなるんだよ!?」
「僕が、君の言う通りに渡せば指輪受取ってくれるって事でしょ?…予約したから。待っててね」

そう言ってヒバリはオレの左手の薬指に唇を寄せて微笑んだ。

果たしてその日が来て、優しい目をした狩人から逃れる術をオレは見付けられるだろうか…。




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今日の1859第9弾


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