吐息



いけない事をしているというのは分かる。
きっと知られたら彼は烈火の如く怒り狂うだろう…もしかしたら別れをきり出されるかもしれない…。

でも、その危険を冒してでも見たいものが目の前にある。
その誘惑に耐えられる程僕も大人ではない。
ましてや大好きな人の事。
普段クールな風紀委員長で通っている僕でも、さすがにしょうがないんじゃないだろうか…。


明日から休日という週末…と言うより、既に日付は変わって土曜日の深夜。
僕は学校内での委員の業務を終えた後、町内の見回りも終え自宅へと戻った。

一度は家に帰ったものの、久しぶりに時間が取れそうだったので、やはり週末を恋人である隼人と過ごそうと思い立ち彼の部屋を訪れる。
時間も遅かったので彼が寝ているところを起こしてはいけないと、連絡をする事もなく部屋へも貰った合鍵で入った。

やはり隼人は寝ていたようで、家の中は灯が落とされ真っ暗。
彼を起こさないように音を立てず寝室の扉に手を掛けたところで、中から小さな声が聞こえた。

思わず扉に手を掛けたままフリーズしてしまう。

聞き覚えはあるが、その声は僕が此処で聞いていて良い声ではないし、だからと言って聞き間違えでもない…。

明らかに欲に濡れたような、僕の腰にダイレクトに響いてくる小さな声。
いつもは僕が隼人に触れて引き出しているその声が、彼に触れるべき僕を此処に残して聞こえてくる。

まさか誰かと!?

頭にカッと血が昇るのが分かった。

夏休みが明けて、体育祭、文化祭と立て続けに行事が有り、風紀委員としての活動で忙しい僕と、クラスの活動(もっとも彼は学校行事に熱心に参加するのではなく、あくまでも十代とやらの為)で忙しい彼。

なかなかお互いゆっくり会える時間も取れず、最後に体を重ねたのも彼の誕生日だった。

それから二月あまり。
間の空いた期間に耐え切れず、まさか彼が僕以外の他人と、いつも僕が彼と過ごすようなあの濃密な甘い時間を過ごしている!?

僕だけのものだと思っていたあの隼人を、他人が知っていると思ったら、隼人への怒りよりもまずソイツを咬み殺す事しか頭に無くなった。
手を掛けた扉を勢いよく開いて、獲物を狩るべくその現場へ踏み込もうとした時。

くぐもって、聞こえ辛くはあったが微かに聞こえた彼の声に、先程とは違う理由で一気に頭に血が昇り、想像しなかった事に遭遇して軽くパニック状態に陥ってしまった。
この僕が真っ赤になる顔を自覚しながら、耐え切れず寝室の扉の前にしゃがみ込んでしまう。

「…ぁ…はぁ、…ヒ…バリ…」

彼の、想像するだけでも熱いと分かる吐息に混じって聞こえたのは、いつも僕が触れたときに彼が僕を呼ぶその声。
いつも僕をあっという間に熱くしてしまうその声で、僕の名前を呼びながら、彼自身が自分を慰めていた。

先程まで怒りで一杯だった僕の脳内は、途端に嬉しさで一杯になった。

そうして中を覗いてみたいという誘惑に抗うことが出来ず、細心の注意を払い隼人の痴態を見てみる事にした。
扉はベットから見て足の方にある為、通常の位置であれば開けた瞬間に見付かることは無い。
いけない事をしているという自覚はあるから、頭の中で何度も彼に謝っていた。

音がしないように細く開いた扉の隙間。
灯りが無いうえ、秋の寒くなり始めた澄んだ空に浮かぶ月明かりも、分厚い遮光カーテンで遮られ隼人の姿をハッキリと見る事は叶わない。
しかし、先程微かに聞こえた程度の声はより鮮明に僕の耳に飛び込んできて、その早い呼気につられる様に僕の心臓が鼓動を早める。

開けた時と同じようにそっと扉を閉じると、今後の行動の選択肢を幾つか頭に思い浮かべた。

@何も見なかった振りをして、このまま退場→帰宅
A何も見なかった振りをして、このまま退場。外から一回連絡を入れて、知らない振りのまま再訪問。
B…このまま寝室に突入。

隼人からしたら@かAがいいんだろうけど(いや、今の時点ですでによくないだろうけど…)、僕としてはB希望。
先程見る事の出来なかったその姿を見て、その熱い息をこの身で直に感じたい。

でも、それをした時の隼人の反応を思うと踏み切れなかった。

脳内でどうしようかと悩んでいると、隼人の息遣いが切羽詰ったようなものになってきて、もう余り時間が無い事に気付いた。
隼人の手を取って、僕のこの手で彼自身を高みに導いて、そうしてそのまま解放してあげたい…。

その衝動と、隼人の気持ちを脳内で秤に掛けていた時

「ヒバリ…ッ」

僕の名前を再び濡れたような、蕩けたような甘い声で呼ばれた途端、脳内で何かが切れたような音がした。


バタン!
勢いよく扉を開き寝室へと入る。

暗闇の中、ベッドに横になっていた隼人が大きくその身を震わせて、上掛けを確りと握った状態で身を起こしたのが分かった。
その顔は何事が起こったのか一瞬分からない顔をしていたが、次いで状況を把握した途端顔を真っ赤にして何事か話そうとして数度口を開け閉めしていた。

「…ヒ…バリ…」

ようやく彼が声に出したのは僕の名前だった。

僕は先ほどから彼に煽られっ放しで、もう一秒たりとも我慢出来ない状態。
すぐに彼の元へと歩み寄ったが、隼人はそれ以上に早い動作で上掛けを頭から被り、僕からその身を隠した。

「お、お前…いつから…」
「ごめんね。寝てると思って静かに入ったから気付いてもらえなかったみたいで…」

そう言い訳しながら僕を拒絶するように被った上掛けに手を掛けて隼人の隣に潜り込もうとしたところで、中からはっしと隼人が防ぐ。

「最低ーっ!!もうお前と一生顔合わせらんねぇーっっ!!」
「何で?別に恥ずかしい事じゃないでしょう?」
「恥ずかしいに決まってんだろっ!馬鹿っ!!」
「大丈夫だよっ」

力ずくで上掛けを捲り隼人の隣に横になって、そのまま彼の体を抱き締めた。
じたばたと暴れて僕のを解こうとするが、それを許さず、ほっこりと暖かい彼の体を背後からぎゅっと抱き締める。

「平気。全然恥ずかしい事じゃないよ」

隼人は暗くて顔など殆ど見えないのに、顔を枕に埋めるようにして僕から背けている。
僕は顕になった片方の耳のに口付けながら彼に言い聞かせる。

「嬉しかったよ。隼人が僕の名前呼んでくれて。だから、ほら僕も」

すでに熱く起ち上がった僕のそこを隼人に押し付ける。
彼の体を手で優しく撫ぜて、髪を梳き、キスを送り、君が恥ずかしいと思う事なんて何も無いって事を、触れる全てで伝える。

しばらく続けていると「…恥ずかしいヤツ…」と、小さく隼人が呟くのと同時に、強張っていた体から力が抜けた。

続けて耳の後ろにキツイ口付けをし、そのまま耳殻の形を確かめるように舌を這わせる。
確りと力を込めて抱き締めて耳から首筋、項へとキスをする。

そうしてすっかり力が抜けて抵抗の無くなった体をようやく僕の方へと向けた。
暗闇の中で見える隼人の目は、いつもの綺麗な瞳の色は分からなかったけど、常よりも水気が多く、それはまるで静謐な湖面のようだった。

そこに映った僕の顔は欲情にまみれていて…。

でも、抗いがたい程の魅力を持った恋人を前にしてはそれも仕方の無い事。
彼が湛える小さな湖面に、乱れた波紋を起こすかの如く僕は自分の欲望を彼にぶつけた。

全てが終わって隼人の体を背後から抱き締め、始まりの時と同じようにキスをする。

「僕のこと思ってくれてありがとう」
「礼言うような事かよ…本っ当、恥ずかしいヤツ…」

全てが暗闇に閉じられたこの世界でも触れた項の熱さから鮮やかな赤を想像するのは容易かった。




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今日の1859第13弾


2008.11.6 1859net

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