体温



白い煙に包まれて、咳き込みながら涙の滲む目を開く。
開けているはずの目に映るものは何も無く、真っ暗な視界。

置かれている状況が分からず、一瞬焦るが、どうやら十年後のオレは就寝中だったらしい。
柔らかな寝具に包まれているのだという事を理解して詰めていた息を吐く。

頭まで包まれた上掛けから顔を出そうとしたところで、背中の方から腰に手が回された。
そこで同衾している存在に初めて気が付く。
思わず声が出そうな程驚いてしまったが、次いで聞こえてきた声に更に驚いてしまい声も出なくなってしまった。

「…今日はオフでしょ。まだ寝てようよ」

耳の後ろに柔らかい感触と熱い息を感じた。
半ば覆い被さるような形で俺を抱き込む人物が発した声に凍りつく。

「…あれ?」

やや寝惚けたような声音だが、耳に入るその音は低音。
恐ろしくて振り向く事が出来ずにいるオレの肩を掴んで仰向けにされ、声を発した人物と目が合った。

「…」
「…」

お互い無言で見つめ合う事暫し…。

大混乱しているはずのオレの頭の中は、しかし目の前の人物を妙に冷静に観察をしていた。
初めて間近で見るその瞳は薄暗いこの部屋の中で見ても更に深い闇色で、それに思わず見蕩れてしまう。
ぼんやりしているオレに三度彼が口を開いた。

「十年バズーカ?」

彼の口から出た単語を理解して、うなずく間もお互い視線は逸らさない。

オレの記憶にある人物が十年経てばこうなるんだろうなっていう予想通りの顔。
…だけど…でも、その人物は決してこんな表情でオレを見る事は無かったし、十年どころか未来永劫こんな優しげな眼差しを俺に向けてくるなんて事は有り得ない人物で、オレの頭の中は混乱したままだ。
そんなオレの頭をこれまた優しい手付きで撫でて、そのまま頬に手を滑らせる。

「ヒバリ?」

名前を不意に呼んでしまったが、途端に目の前の男は嬉しそうな笑みを口元に浮かべた。

「うん」
「…なんで…」
「何故一緒にいるのかって?」

オレが全てを言い切らないうちに、と言うより何と言っていいか分からずに、言い淀んでいるうちに、どうやら本物のヒバリらしい男はオレの聞きたい事を汲み取ってくれたらしく、それを口にした。

「あまり未来の事を伝えるのは良くないとは思うけど、この状況じゃあ誤魔化せないよね」

上から押さえ込まれるように密着している上半身を少しだけ上げて、困ったように…でも何故か嬉しそうな顔をしているヒバリ。

いや、頼むから、誤魔化されてやるから、お願いだから、違うと言ってくれ!

何とか頭に浮かぶ「この状況」の原因第一候補を頭から追い出すべく、他にこうなる理由を考えてみる。
でも、どう考えても他にコイツと同じベッドに入っていて、後ろから口付けながら抱き込まれる理由というのがその他に思い浮かばない。
ヒバリはと言うとやはり穏やかな表情のままオレを見詰めていた。
でもその優しく力強い眼差しは、コイツがオレにどんな感情を抱いているのかという事を、言葉にしなくても如実に伝えてきて…疑いようの無いヒバリの思いが在るのが分かった。

「ヒバリ?」
「うん。僕だよ」

さっきと同じオレの問い掛けに小さく笑って答えるヒバリ。
コイツがオレの事を好きなのは分かったが、でもここは本当に十年後なのだろうか?
もしかしたら十年バズーカの故障で、平行世界の十年後にでも来てしまったのではないか?

だってオレがこんな風に思うことも仕方ないだろう…今まで見知っていた男とあまりに違い過ぎる。
百歩譲ってコイツの本性がこうだったとしても、その対象が俺であるというのが全く信じられない。
一体どういった経緯でこういう関係になってしまったのか…。

「可愛い。小さい隼人」

考え事をし出すと他の事に意識が全く向かないオレがグルグルと思考の渦に嵌まっていると、ヒバリがとんでもない台詞を言い放った。
死ぬ程恥ずかしい事をあっさりと言って、オレの前髪を掻き分けながら顔を近付けるヒバリ。
嫌な予感がしたオレはヒバリの両肩に手を掛けて必死に押し戻す。

「ちょ…ちょっと!近い!」
「大丈夫。変な事はしないよ」

体勢的にも体格的にも劣勢なオレにヒバリを阻む力等無いに等しくて…両方の耳の辺りに手を添えられ、額にそっと柔らかな感触が降りてきた。次いで瞼。最後に限りなく口に近い頬に。
そうしてヒバリの顔が離れていくのが分かってから、そっと目を開く。
相変わらず優しい笑みを口元にひっそりと湛えるヒバリが、恥ずかしさで滲んだ涙ごしにぼんやりと見えた。

「嫌だった?」

オレの目に滲んだ涙を見たヒバリが困ったように(コイツのこんな顔を見るなんて!)オレの目元を親指で優しく撫でる。
別に嫌だから泣いた訳ではなく、だからっていいかと言われればそうではないが…、ただただ恥ずかしくて…。
でもオレが嫌がって泣いていると心配しているこのヒバリの表情を見て、咄嗟にコイツを悲しませたくないって思ってしまった。
慌てて顔を左右に振る事で嫌ではない事を伝えた途端ヒバリが本当に嬉しそうに笑って…オレはまた顔が熱くなっていくのが分かった。

「ヒ、ヒバリ…オレ…ちゃんと十代目の右腕になれてるか?」

赤くなる顔を誤魔化すように、思わず口をついて出たのはそんな台詞。
本当はそんな事が聞きたい訳じゃない(…いや、まぁ、ちょっとは気になるけど)…でも、一番気になっているのは目の前のこの男の事。
いつからこういう関係になったのか?とかどうして?とかどっちから?とか聞きたい事は山程あった…でも、ヒバリにそれを聞く事は出来ずに、つい脈絡の無い十代目の事なんて持ち出してしまった。

「やっぱり出たね、君お得意の十代目。大丈夫、立派に右腕やってるよ。もう少し僕の方に時間割いてくれてもいいと思うんだけどね」
「で、でも今は一緒に居たんだろ…」
「うん。すごく久々に会えたんだよ」

大人のオレの事を思ってか、何やら反芻している様子。
それが、またこっちが赤面してしまう程に(というかさっきから真っ赤なままだと思うけど…)好きな人の事考えてる、って丸分かりな顔で…。

十年前のヒバリなんて、仏頂面か戦闘を前にしての高揚したような顔くらいしか見た覚えが無いオレは、十年後のオレがコイツにこんな顔させてるんだと思って、また心臓がうるさい程に鼓動を早めたのを感じた。
やばい恥ずかしいやら何やらで呼吸が苦しくなってきた。
妙に近い位置にあるヒバリの顔のせいで、呼吸も自然に出来ず…と言うか息ってどうやって吸ったり吐いたりするんだ?って感じで息苦しくて、頭がクラクラしてきた。
早く5分経って元の時代に戻りたいって思った矢先ヒバリが口を開く。

「もうすぐ五分経っちゃうね…」

オレから瞬間も視線を外さないヒバリの表情は、少し寂しそうで…この顔は今のオレとの別れを惜しんでくれてると思ってもいいんだろうか?

どうしよう…そうだったら嬉しいと思ってしまうなんて…。
たった今元の時代に戻りたいと思っていたのに.…。
その感情を振り払うようにオレはようやく顔を横に向けてヒバリから視線を逸らした。

「10年後のオレが戻ってくるだろ」
「うん…そうだね。…でも、当時の僕は惜しい事してたな、ってずっと思ってたから小さい隼人と会えて嬉しい」
「?」

ヒバリの台詞が気になって、先程逸らした視線を再びヒバリに戻すと、ヒバリが顔を近付けてきた。
慌てて横を向くとヒバリの熱い息と、柔らかい唇、それから低い声が耳に触れたのが分かった。

「…こんなに可愛い隼人を可愛がれなかった事。ずっと勿体無かったな、って思ってた」
「…っ!?」
「色々としたい事はあるけど、過去の自分にそれはとっておくとするよ。それより隼人…君の顔をよく見せて?」

オレは横を向くというより、ベッドに半ば顔を押し付けるようにしてヒバリの方を見ないようにしていたけど、ヒバリが発した言葉に躊躇いつつもヒバリの方を向く。
…だってコイツが本当にオレの顔を見たいと望んでいるのが分かったから。
たった5分にも満たない時間でこんなにも目の前の男に絆されている。
前髪を掻き分けながらずっとオレの目を見ているヒバリ。

「十年前の僕によろしく伝えてね」
「お前…言える訳ないだろ。…きっとトンファーで殴られるぜ」

ヒバリは苦笑して「うん。否定はしない」なんて言いやがった。
そんなヒバリが可笑しくて思わずオレも笑ってしまう。
まさかヒバリと冗談を言って笑いあえる日がくるなんて…。

少し見詰め合っていると体全体が引っ張られるような感じを覚えた。
ヒバリもそれを察したのか珍しく余裕の無い早口で別れの言葉を告げながら、オレの瞼に口づけを寄越した。

「またね。隼人」

五分ほど前と同じく白い煙に包まれて、目を開いたそこは十代目のお部屋だった。
十代目が先程まで此処に居た十年後のオレの話をして下さる。
しかしいつものように、そのお話しを集中して聞く事が出来ない…。

十年後のヒバリの優しい眼差し、柔らかい口付け、暖かく大きな体…それらが未だ鮮明にオレに纏わりついていた。
その鮮明な男の痕跡とは反対に不確かな、自分でもよく分からない思いを抱えてこれから一体どうしたらいいのだろう…。

いくら考えても答えは得られそうになくて、その思考から逃げるように十代目の声へと耳を傾けた。




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今日の1859第14弾


2008.11.7 1859net

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